毒親に育てられた私が家庭を持つお話。

毒親の元で育っても幸せな家庭を築ける!

人生最大の出来事

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みなさん、こんばんは。

こんぶちゃんです。

 

今日はポカポカお出かけ日和でしたね☀︎

病院の窓から外を覗いて

悔しい気持ちでいっぱいでした(笑)

 

 

さて今日も続きのお話をしますね。

 

 

目次

 

 

人生最大の出来事

母たちと絶縁してから

結婚に向けて着々と物事を進めていました。

 

そんなある日、戸籍謄本を取らなければ

ならなくて市役所へと向かいました。

 

特に何も考えず、淡々と手続きをして

書類を受け取りました。

しかし、書類を確認すると

衝撃の事実がそこにはありました。

 

 

"父の名前が知らない名前だ…"

 

 

そこには今まで父だと思ってた人ではなく

全く聞いたこともない人の名前が。

文字を見ながら唖然。

すぐに父に連絡を入れました。

 

「私のお父さんは誰なの?」

 

するとすぐさま父から電話がかかってきました。

 

父は「俺が父親だよ。」と話し始めましたが

本当の父親は別にいることを教えてくれました。

 

父はずっと黙って私を本当の子どものように

育ててくれていたんだなと

そのとき知ることができました。

連れ子なら手を出したくなるのも当然。

(もちろん手を出したらダメですが…)

私だけがあんなに怒られていたのも納得。

 

きっと母に似ていてむかついたのだろうと。

 

事実を知り、ますます母への不満が

募っていきました。

 

なぜ、言ってくれなかったのか。

ずっと嘘をついていた理由はなんなのか。

どういう思いで私を置いて出て行ったのか。

連れ子だったら無理矢理でも

私は一緒に連れて行けたのではないか。

そんなことばかり思いました。

 

結局は私は捨てられていたんだなと実感。

私ではなく男を取ったのだと

その時やっとわかりました。

 

母とは全く連絡を取っていなかったのですが

さすがに事情を聞いてみると

 

"もうあなたは私の娘じゃないから

 話すことはない"

"知りたいならもう1人の当事者に聞けば?"

 

そう答えが返ってきました。

 

悔しい気持ちと悲しい気持ちがありましたが、

それならもういいやと言いたいことはぶつけ

父について調べることに。

 

 

父との繋がり

調べるとすぐに

私のSNSをフォローしていたことに気付きます。

 

ずっと前から私を見ていたようです。

 

すぐに連絡してみると

「父であることは間違いない」

と返ってきました。

 

ずっと知らない人だと思っていた人が

まさか実の父親だなんて

誰も想像してませんよね。

 

父とは少しだけ話をしました。

父にも新しい家族がいること

私も結婚と妊娠を伝えました。

 

お互いに、もう会うことはないと思います。

 

ただ、父の存在を知ることができて

私は良かったと思います。

父や母がどう思っているかはわかりませんが。

 

育ての父には、実の父と連絡がついたことを

伝えました。

 

すると父はとても驚きました。

理由を聞いてみると…

 

 

おわりに

まぁ人生色々ありますよね…。

私はもしかしたらまだ幸せな方かも

知れないですし。

 

今となっては過去なので

そこまで落ち込みません。

 

それより新しい家庭を築く楽しみの方が

今は勝っています。

 

今だからそう思えるんだと思います。

 

 

さて、それではまた次回みなさんと

お会いできることを楽しみにしています!

今日もお疲れ様でした!

 

 

こんぶちゃん

 

仕事を辞める決意

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みなさん、こんばんは。

こんぶちゃんです。

 

入院生活も終わりが見えてきて

やっと旦那と会える!と

ワクワクしている毎日です(笑)

 

さて、今日も前回の続きからお話しします。

 

 

目次

 

 

仕事を辞める

私の仕事はかなりきつい仕事で

休みも週一、勤務時間も早朝から夜

泊まりがけの勤務もありました。

 

時には緊急出勤もあり、

かなり複雑な仕事でした。

 

それでも自分がしたかった仕事なので

頑張っていたのですが

暴飲暴食の毎日なのに体重がみるみる減り

入社してから1年で-5キロ。

この時に自分の体の異変に

気がつくことはなく…

そこから半年が経ち、

プツンと糸が切れたかのように

精神崩壊してしまいました。

1ヶ月ほど休職させてもらったのですが

復帰することは厳しいと判断。

もちろんこの時、病院からも診断を受け

ドクターストップがかかっていました。

 

職場の方からは、引き止めていただいたものの

気持ちも進まず、これ以上休んで

迷惑はかけたくないと思い

退職を決意。

その後、事後報告でしたが母にも連絡。

 

とりあえず実家に戻ってきなと言われ

戻ることにしました。

 

 

実家での暮らし

実家に戻ってからは

仕事を辞めたことを責められるわけでもなく

次の仕事が見つかるまで少しゆっくりしながら

手伝いをするような状況でした。

 

そこから少ししてから

旦那(当時彼氏)からプロポーズを受けました。

もちろん私はYES。

そして、妊娠も発覚。

旦那はとても喜んでくれました。

 

その時私は母の顔が浮かび、不安でいっぱいに。

 

"きっと反対される"

"怒られる"

 

恐怖心でいっぱいでした。

 

母にもこのことを話すと

大きなため息。

 

すぐにでも旦那と旦那の母を呼ぶようにと

言われ、次の日には呼び話し合いをしました。

 

その時の母と義父の態度と行動に唖然。

 

母は堕ろせしか言わず、義父は脅し謝罪を要求。

母も義父も話し合いの最中でありながら

ましてや妊婦の私が目の前にいる中で

タバコを吸い始める始末。

(電子タバコではありましたが…)

 

確かに、私も仕事をしていないタイミングで

考えてないと怒られても

仕方ないとは思いました。

しかし、彼は仕事も頑張っていて

妊娠が分かり、バイトを掛け持ちすると

意気込んでいたのに

母も義父も人間性を否定。

 

正直話にならず、私も聞いているのが苦でした。

 

私が話しても「あんたは黙ってて」と。

母から祖父母が片方しか居なかったら

子どもが可哀想と言われ、絶句。

 

私は祖父母が片方だけでしたが

不幸せだと思ったことは一度もないです。

母は私に対しても同情の目で見ていたんだなと

気付きました。

 

きっと私のことも産まなきゃよかったと

そう思ってるんだろうなと。

 

母は義父との子どもを堕ろしていたので

私の気持ちがわかるかと思っていましたが

逆でした。

娘を取られるのが嫌なのか、

自分たちはお前のために産まなかったのに

と恨んでいたのか

私にはわかりません。

 

ただ、母から彼と別れて実家で産むか

堕ろすかの2択を強いられましたが

私はどちらも拒否。

家を出ることを伝えました。

 

ありがたいことに、旦那の母は

産むことに賛成してくださっていて

協力すると言ってくださったので

私は母と義父と絶縁を決意しました。

 

しかし、事件はその後に起こりました。

 

 

おわりに

賛否両論あるかと思いますが

私は正直、母の言葉一つひとつに傷つきました。

母も葛藤しての言動かもしれませんが

自分がしてきたことがあるのに

私によく言えるなと思いました。

ちなみにこの時、私の父は賛成。

母の言動はあり得ないと話していました。

 

その言葉にかなり救われました。

 

ここまででもかなり内容が濃いのですが

さらに大きな事件が起こります。

 

次回もお楽しみに(笑)

 

 

それではみなさん、今日もお疲れ様でした。

また次回お会いしましょう!

 

 

こんぶちゃん

母親との暮らし

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みなさん、こんばんは。

こんぶちゃんです。

 

昨日は地震大丈夫でしたか?

こっちもかなり揺れてびっくりしました…。

病院にいるので尚更怖いです…。

まだ余震も続いてるようなので

みなさん気をつけましょう!

 

さて今日は、前回の続き

母と暮らすようになってからのお話です。

 

 

目次

 

 

母親に対する違和感

専門学校に入学してからは

私もかなり自由に遊んできました。

今まで遊べなかった分も考えて

母は寛容な心で見てくれていました。

 

やっと遊べることができて嬉しい!

そんな気持ちばかりでした。

 

母は夜職をしていたこともあり

時間が合わないとほとんど顔を合わせないことも

しばしばありました。

まぁそんなことは小さい頃から慣れていたので

普通のことに思っていました。

 

ただ、ひとつだけ今思えば

母の手料理はそう多く食べていなかったので

"お袋の味"というものがわかりません。

何かを教わったわけでもなかったので

自分の子どもにはちゃんと教えたいなと

今となってはそう思います。

 

そんな私も彼氏ができたりと

いわゆるリア充をしていました。

 

もちろんそのことは母にも義父にも話しました。

しかし、それが地獄の始まり。

 

最初は「いいんじゃない?」と

話を聞いてくれていたのですが

徐々に母と義父から

「その人どうなの?」

「やめた方がいいんじゃない?」

と言った言葉が出てきました。

 

しかも、その話を

職場の人や周りの知り合いに平気で話し

私は辛い気持ちを抑えて、

作り笑いをするしかありませんでした。

 

それは1人にとどまらず

付き合ってきた人全てに対して言ってきました。

 

私は、その当時は親が言ってるからそうか

と思い母たちの思惑通り、

お別れを選んでいました。

 

 

環境の変化

そんなこんなで

専門学校は普通に卒業でき、無事に就職。

半年したら一人暮らしをすることを伝えました。

 

一人で暮らすことに憧れていた私。

家事もやってきたし、自分のタイミングで

できる素晴らしさを感じていたからです。

 

その当時ずっとお付き合いしてた人が

今の旦那です。

ある程度時間が経ったら同棲をしようと思い

もちろんその旨を母たちにも話していました。

反応は微妙でしたが、反対するわけでも

賛成するわけでもなく。

 

もちろん、私はもう成人も過ぎているので

ある程度好きにさせてという感じでした。

 

みんなこうなのかな?

私だけなのかな?

と不信感が募るように。

これって過保護すぎない?

そんな苦しさを抱え始めました。

 

環境を変えてからは、ほとんど仕事漬けの毎日。

母たちと会う機会もかなり減り

幸せを噛み締めていました。

 

 

おわりに

みなさんはどのような家庭でしたか?

お袋の味は思い出せますか?

幸せな家庭の基準はありませんし、

それぞれ悩みを抱えているかと思います。

 

そんな中、過去に辛い経験をした方、

現在も辛い思いをしている方、

少しでも共感してくださる方、

今家庭を築いている最中の方など

様々な人の目に留まればなと思います。

 

 

それではみなさん、また次回お会いしましょう!

今日もお疲れ様です!

 

 

こんぶちゃん

第2の毒親

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みなさん、こんばんは。

こんぶちゃんです。

 

入院生活も残すところあと1週間ほどに

なりました。

いつ産まれてくるかわくわくしてます。

 

さて、今日は前回の続き

高校生からのお話をしたいと思います。

 

 

目次

 

 

母との再会

自殺を考えていた私が咄嗟に電話した相手

それが母親でした。

 

泣きじゃくりながら今までのことを全て話し

母はすぐに父に連絡をしたようです。

父から「話があるから帰ってきて」と

連絡があったので、とりあえず帰ることに。

 

家に帰ると寂しそうな表情をした父の姿が。

「ママから連絡があったよ。今までごめん。」

と父から謝罪。

私は父のことは嫌いではないし、

むしろ好きだったので

その言葉を聞いた瞬間に号泣。

母はすぐにでも私をこっちに連れて来てと

父に言ったようで

「どうしてもママのところに行くの?」

と聞かれました。

私は父のことが許せないわけでは

なかったのですが

どうしても信じることができませんでした。

 

"どうせまた繰り返すだろう"

 

そう思い、母のもとで暮らすことを伝えました。

 

そこからはトントン拍子でことが進みました。

高校の編入試験も受け、無事に合格。

着々と準備が進みました。

 

妹や友達と離れてしまうことが

一番辛かったです。

妹は理解してくれて、たまに遊びに行くねと

笑顔で話してくれました。

 

 

高校生の私の暮らし

いざ、母の元で暮らすという時に

母から「一緒に住んでる人がいる」と

紹介されました。

 

その人は、私が小さい頃に一度会っていた

いわゆる母の不倫相手でした。

正直驚きを隠せませんでした。

母はずっと仕事でいなくなったと思っていたので

まさか男の人が原因だなんて

思ってませんでした。

 

混乱しながらも、私は挨拶をしました。

もちろん相手も私のことを覚えていたので

「おっきくなったね。」と言ってくれました。

 

とても複雑。

だけど今の暮らしよりはいいだろうと

覚悟を決めて、3人で暮らすことに。

 

何年かぶりの母とその彼氏と住むことは

とても気を使いました。

きっと2人も同じだったと思います。

 

暴力がなくなり、幸せな日々だなと

感じていましたが

どこか心の隅では父や妹、祖父母のことが

心配で心も満たされずにいました。

 

お金の心配もなく、生活も安定。

でもなぜか、母との距離は縮まりませんでした。

反抗期なはずの私も母には何一つ

ぶつけることができませんでした。

 

そのまま高校を卒業。

専門学校へと進学することが決まりました。

 

そこから徐々に母に対して

不信感を抱くようになりました。

 

 

おわりに

高校生の私は色々な変化がありました。

良いことも悪いこともあり

精神的に病んでしまったりもしました。

 

田舎の方に引っ越して来たので

まだそこまでひどくなかったのかなと

今は思います。当時は辛かったけど。

 

家族も友達も学校も1からのスタートで

新しい自分を見つけた気分でした。

 

順調に見えた私が、徐々に崩れていく様子が

次回分かります。

ぜひ、次回も読んでみてください。

 

 

それではみなさん、今日もお疲れ様です。

また次回、お会いしましょう!

 

 

こんぶちゃん

 

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私の毒親のはじまり

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みなさん、こんばんは。

こんぶちゃんです。

 

ただいま入院生活を送っている私ですが

24時間点滴に寝たきりでとても暇です(笑)

 

何かいい暇つぶしはないですかねぇ…。

 

そんなこんなで

今日は私の過去について

お話ししていきたいと思います。

 

 

目次

 

 

私の家族構成

まず、私の家族構成ですが

最初は母、父、私、妹、祖父、祖母で

暮らしていました。

高校生の頃からは母、義父、私で

暮らすことになりました。

 

小さい頃から母と父は喧嘩が多く

時には母が「出て行く」なんて

言った時もありました。

 

母は朝から晩まで仕事とバイトに励み

父は仕事をろくにしていなかったようです。

その結果、喧嘩が増えたのだと思います。

 

そんなある日、私が小学校低学年の頃

母は仕事があるからと言い

どこかへ行ってしまいました。

ただ呆然と見送り、いつか帰ってくると

勝手に思っていました。

 

しかし、母はいつになっても帰ってきません。

父に聞いても怒られるばかりでした。

妹は泣いてばかり。

私もどうしていいかわかりませんでした。

 

 

毒親のはじまり

私が中学生になってから

父は激変。

帰りの時間が部活で遅くなると

怒鳴られ、蹴られ、殴られの日々。

何か機嫌を損ねると、物が飛んでくる。

唯一の救いは、妹には手を出さなかったこと。

そのため、私が我慢すればいいんだと

思っていました。

 

父は仕事で忙しいのか、夜は遅く

時には出張と言い、帰ってこない日々。

そのため、私がご飯を作ることも多々。

しかし、作った私は残り少ないご飯だけ。

そんな毎日でした。

 

ある日、私が友達と遊んでいると

そこには父の車が。

車内では携帯ゲームをしている父が。

父はいつも仕事だと思っていたのに

遊んでいたことが発覚。

もちろん、父に言えば逆ギレされるので

黙っていました。

ただでさえ生活がきついのに何もせずに

遊んでいて、なんで私が怒られるのかと

1人で泣いていました。

 

高校生になっても、父の態度は変わらず。

電車での通学で部活もしていた私に

"門限は5時"という無謀な時間設定。

お昼は自分で買って食べる。

そのためにバイトをする毎日。

バイトから帰ればご飯の支度。

私は母親がいないから仕方ないと

言い聞かせていました。

 

時には、妹の勉強を見てから

自分の勉強をしていたため、睡眠も

取れないことが多くありました。

 

それでも怒鳴り散らかし、暴力をされ

ついに私は耐え切れず家を飛び出しました。

 

"もう死にたい"

 

そう思い、車通りの多い道に

飛び込もうと考えていました。

 

そんな時ふと思い出したのは

母の電話番号。

高校生に入ってからスマホを買ってもらい

登録だけしてあったのを思い出し

勇気を出して電話をかけました。

 

すると聞き覚えのある母の声。

私は泣きながら今までのことを話しました。

 

 

おわりに

ざっくりと話したので

説明不足なところもあるかと思いますが

大体こんな感じです。

 

今思うと、よく耐えてたなぁと感心します。

おかげで強くなれた気もします。

 

次回は、母に連絡してからのことを

お話ししたいと思います。

私の毒親劇場はまだまだ序章です。

 

 

それではみなさん、今日もお疲れ様でした。

また次回、お会いしましょう!

 

 

こんぶちゃん

【初投稿】自己紹介とブログについて

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はじめまして。

こんぶちゃんです。

 

現在妊娠中で絶賛入院中のため

何か暇つぶしはないものかと

見つけたはてなブログ

 

続くかわからないけど挑戦してみます(笑)

 

目次

 

 

簡単な自己紹介

さっそくですが自己紹介をします。

 

名前:こんぶちゃん

年齢:22歳

性別:女

仕事:保育士(妊娠前)

趣味:カフェ巡り

特徴:毒親に育てられた

 

特徴のところで「え?」って思った人

多分いるかと思います…。

 

 

ブログのテーマについて

今回ブログのテーマにもさせてもらいました。

 

毒親

 

みなさん知っているかとは思いますが

毒親とは、一般的に

"子どもを支配したり、傷つけたりして、

子どもにとって「毒」になる親のこと"

です。

 

私の場合は、義父からの身体的虐待。

実母からの心理的虐待。

この2つでした。

 

内容に関しては、次回から細かく紹介したいと

思いますのでお楽しみに←

 

 

おわりに

そんな波瀾万丈な人生を歩んだ私が

結婚して妊娠、幸せな日々を暮らしている

そんな事実が少しでも広まって

同じように毒親に苦しめられている人の

力になれたらいいなと思い

文にして残すことを決めました。

 

みなさんのご意見や、感想、質問、体験談など

様々なコメントをお待ちしてます。

また、情報交換の場になればと思っています。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

ブログ初心者なので、そこは温かい目で

見守ってやってください…(笑)

 

 

それではみなさん、今日もお疲れ様でした。

また次回お会いしましょう!

 

 

こんぶちゃん