毒親に育てられた私が家庭を持つお話。

毒親の元で育っても幸せな家庭を築ける!

私の毒親のはじまり

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みなさん、こんばんは。

こんぶちゃんです。

 

ただいま入院生活を送っている私ですが

24時間点滴に寝たきりでとても暇です(笑)

 

何かいい暇つぶしはないですかねぇ…。

 

そんなこんなで

今日は私の過去について

お話ししていきたいと思います。

 

 

目次

 

 

私の家族構成

まず、私の家族構成ですが

最初は母、父、私、妹、祖父、祖母で

暮らしていました。

高校生の頃からは母、義父、私で

暮らすことになりました。

 

小さい頃から母と父は喧嘩が多く

時には母が「出て行く」なんて

言った時もありました。

 

母は朝から晩まで仕事とバイトに励み

父は仕事をろくにしていなかったようです。

その結果、喧嘩が増えたのだと思います。

 

そんなある日、私が小学校低学年の頃

母は仕事があるからと言い

どこかへ行ってしまいました。

ただ呆然と見送り、いつか帰ってくると

勝手に思っていました。

 

しかし、母はいつになっても帰ってきません。

父に聞いても怒られるばかりでした。

妹は泣いてばかり。

私もどうしていいかわかりませんでした。

 

 

毒親のはじまり

私が中学生になってから

父は激変。

帰りの時間が部活で遅くなると

怒鳴られ、蹴られ、殴られの日々。

何か機嫌を損ねると、物が飛んでくる。

唯一の救いは、妹には手を出さなかったこと。

そのため、私が我慢すればいいんだと

思っていました。

 

父は仕事で忙しいのか、夜は遅く

時には出張と言い、帰ってこない日々。

そのため、私がご飯を作ることも多々。

しかし、作った私は残り少ないご飯だけ。

そんな毎日でした。

 

ある日、私が友達と遊んでいると

そこには父の車が。

車内では携帯ゲームをしている父が。

父はいつも仕事だと思っていたのに

遊んでいたことが発覚。

もちろん、父に言えば逆ギレされるので

黙っていました。

ただでさえ生活がきついのに何もせずに

遊んでいて、なんで私が怒られるのかと

1人で泣いていました。

 

高校生になっても、父の態度は変わらず。

電車での通学で部活もしていた私に

"門限は5時"という無謀な時間設定。

お昼は自分で買って食べる。

そのためにバイトをする毎日。

バイトから帰ればご飯の支度。

私は母親がいないから仕方ないと

言い聞かせていました。

 

時には、妹の勉強を見てから

自分の勉強をしていたため、睡眠も

取れないことが多くありました。

 

それでも怒鳴り散らかし、暴力をされ

ついに私は耐え切れず家を飛び出しました。

 

"もう死にたい"

 

そう思い、車通りの多い道に

飛び込もうと考えていました。

 

そんな時ふと思い出したのは

母の電話番号。

高校生に入ってからスマホを買ってもらい

登録だけしてあったのを思い出し

勇気を出して電話をかけました。

 

すると聞き覚えのある母の声。

私は泣きながら今までのことを話しました。

 

 

おわりに

ざっくりと話したので

説明不足なところもあるかと思いますが

大体こんな感じです。

 

今思うと、よく耐えてたなぁと感心します。

おかげで強くなれた気もします。

 

次回は、母に連絡してからのことを

お話ししたいと思います。

私の毒親劇場はまだまだ序章です。

 

 

それではみなさん、今日もお疲れ様でした。

また次回、お会いしましょう!

 

 

こんぶちゃん